おうち英語を始めて6年ちょっと。ここ数カ月で、わが子の読書のチカラがぐっと伸びてきたように感じます。二年前、私が必死で読み聞かせていた本を、今ではあっさりと1人でスラスラ読み、黙読のスピードでも私を追い抜いてページをめくっていくのです。
つい昨日も、「まだ知らない単語が多いし、人間関係の機微は難しいかな?」と私が心配していた本を、わが子はどんどん読み進めていきました。読み終わったあと、どんなところがおもしろかったのか、どんな結末だったのかを、すっごく楽しそうな顔で語ってくれたんです。まさに、子供の伸び代は親の想像を軽々と超えていくのだと実感した瞬間でした。
二年前の自分に、「二年後、わが子は英語の本を初見で読みこなし、あなたの英語レベルすら追い越しているよ」と伝えたら、きっと信じられないほど喜ぶでしょう。でも、数年前におうち英語を始めた当初、私は「将来必ずこうなってほしい」とか「何年後にはこうあるべき」なんてことは考えてもいませんでした。
ただ、今日できることをやる。行き当たりばったりと言えばそうかもしれませんが、このスタンスこそが子育てをする上で大切なのではないかな、とこの頃思っています。
◆おうち英語:コントロールできる「目の前のこと」を大切にする
英語がバリバリ話せる日常や、親の高い選書スキルを背景に育つお子さんからすれば、今回の出来事も「なんてことのない一幕」かもしれません。もしかすると、親を追い越すことすら自然なことなのかもしれませんね。でも、かつて手探りで英語を始めたころの私から見れば、これは十分すぎるほどの成長です。
先ほども触れましたが、私は「海外で活躍してほしいから、何歳までにこのレベルを」とか、「なんとしてもバイリンガルに」といった「欲」や「期待」を持ったことはありません。わが子といえど、私とは別の人間です。だからこそ、自分の理想を押し付けるのは違う気がしていました。
「欲」や「期待」は、時に子供を理想のレールに乗せるための重しになります。それらを手放してはじめて、私は子供が今「何に興味を持ち、何ができるようになったか」をありのままに観察できるようになりました。
だから、発語が増えない時期も、自力読みが進まない時期も、「やってきたことの意味がなかった」「いつできるんだろう」と悩むことは一切ありませんでした。 「発語を増やすには何が足りないのか?」「自力読みには何が必要か?」と問いを立て、必要なことを淡々とこなすだけ。もし渡した本が難しそうなら、「また数か月、数年あとに本棚から出せばいいや」と、本棚で寝かせておくくらいの余裕を持っていました。
将来の進路や英検といったコントロールできない未来に労力をかけるのではなく、今、手元にある本や動画を一緒に楽しむ——。そうしたコントロール可能な「目の前のこと」だけを大切にしてきた結果が、今の姿なのだと思います。
◆公文:結果ではなく「プロセス」を整える
こちらも「おうち英語」と同様、ネットを開けば「〇学年先取り」や「高進度オブジェ」という言葉があふれています。でも、わが家が公文を始めた時も、特別な「欲」や「期待」は持ちませんでした。ただ、その時できることを淡々とこなす。それだけです。
「期待しない」と聞くと、「わが子にはそんな力はないと思っているのか」と思われるかもしれません。でも、私の真意はむしろ逆です。誰よりもわが子の可能性を「信じている」からこそ、あえて期待というノイズを混ぜないのです。
「この子は、いつか必ずできるようになる」。そう強く確信しているからこそ、目先の点数や進度で一喜一憂する必要がありません。将来たどり着く場所を信じているからこそ、今、目の前のプリントでつまずいたとしても、それは「できない」のではなく「今はまだ準備中なだけ」と、冷静に受け止めることができます。
未来の「結果」というコントロールできないものに心を乱すのではなく、この子が今、何を感じ、何を学んでいるのかという「プロセス」を丁寧に整える。結局のところ親ができることは、結果を急かすことではなく、「あなたなら大丈夫」という揺るぎない信頼をベースに、今この瞬間を心地よく過ごせる環境を用意してあげることだけなのではないでしょうか。
これは、学習面だけでなく、もっと根源的な『子どもの気質』と向き合う時にも、私の救いになってくれました。今でこそ穏やかなわが子ですが、実は年中さんくらいまでは、感情の嵐が吹き荒れる日々だったのです。
◆幼児期の感情:ありのままを受け入れ、淡々と導く
2歳頃は「自分でやりたかったのにー!」と地面に這いつくばって泣き叫び、3歳の頃はゲームで負けると、まるでこの世の終わりかのような絶望的な顔をしていました。4歳になると、初めての場所や友達とのお出かけが嬉しすぎて、テンションがマックスに。制御不能なほど突っ走っていくこともありました。
先ほど「余計な欲や期待を持たず、成長を信頼する」と偉そうなことを書き連ねましたが、当時の私は、自分にはないわが子の激しいパッションをありのままに受け止めるなんて、到底できませんでした。 「そんな泣き方はやめて!」「走らないで!」と、焦って子供の性質を「矯正」しようとしては、親子で心が乱れ合う。まさに「欲や期待」を子どもに押し付けていた時期だったのだと、今ならわかります。
そこから少しずつ、「今は大変だけど、この子は必ず乗り越えられる」と信じ、親が感情的にならずに一歩引いて接すること——つまり「信頼で接する」という姿勢にシフトしていきました。 気質そのものは否定せず、でも「泣き叫ぶことで解決しようとするのは、あなたにとっても損だよ。次からはこう言ってみようか」と、社会との接し方を淡々と教え続ける。この「淡々とした導き」ができるようになるまでには、かなりの時間がかかりました。
親の態度が変わると、子どもも驚くほど穏やかに成長していきました。あの嵐のような日々を一緒に駆け抜けた経験こそが、今の私の「目の前のことを整える」というスタンスの軸になっているのかもしれません。
◆おわりに:今日という一日の「整える」を
思えば、私が大切にしてきた「整える」という姿勢は、ただ部屋を片付けることや、学習習慣を整えることだけではありませんでした。 親の勝手な期待というノイズを捨て、子どもが今、本来の姿でいられるように環境を整えること。学習も、感情も、日々の暮らしも、すべては今この瞬間の「知(学び)」と「食」と「住」を一つひとつ丁寧に整えることから始まります。
その積み重ねが、気づいたときには親の想像を軽々と超える未来という形になっていた——。そう確信した今、これからも私は遠い未来を夢見て焦るのではなく、今日という一日の「目の前のこと」を丁寧に整え続けていこうと思います。
今もし、お子さんの激しい感情や、思うようにいかない日々に心を乱されている方がいるなら、伝えておきたいことがあります。その「嵐」は決して永遠には続かないということ。そして、あなたが今、淡々と向き合い環境を整えようとしているその姿勢は、間違いなくお子さんの未来の土台になっているということです。
「将来こうなってほしい」という期待を手放し、ただ目の前の今を心地よくすること。それこそが、実は子育てにおいて一番の近道なのかもしれません。 今日もまた、親子で心地よく過ごすための小さな「整える」を、一つだけ始めてみませんか?



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