先日、わが家では大きな節目を迎えました。 年中の冬からスタートし、これまで続けてきた公文の国語を、このタイミングで卒業することに決めたのです。
退会にあたり、最後に5年生レベルの到達度テストを受けました。結果は、漢字を除いてすべて満点。公文という枠組みの中で、着実に力を積み上げてきたことを最後に確認できたのは大きな収穫でした。
振り返れば、日々の学校のテストでも、カラーテスト以外の応用問題も含め、これまでずっと満点を続けてきてくれました。家庭での様子を見ていても、2年生レベルの漢字や読解の基礎がしっかりと定着していることは日々実感しています。
公文の国語には、ここまで導いてくださったことに心から感謝しています。 ただ、今は「このまま続けること」よりも「卒業して別の道へ進むこと」が、わが家の学びにとってベストな選択だと判断しました。
なぜ、順調に学習が進んでいる今、あえて卒業という道を選んだのか。 今回はその理由と、これからのわが家の学びの形について少しお話ししようと思います。
年中の冬から積み上げた、わが子の「読解の基礎体力」
年中の冬から始めた公文式の習慣は、わが子にとって、単なる「お勉強」以上の価値がありました。毎日決まった量をこなすという積み重ねが、学習の「基礎体力」を大きく底上げしてくれたと感じています。
◆「当たり前」という強さ
最初はノリノリでやっていても、学年を超えた学習になってくると書く量も増え「めんどくさい!」と言う日も。けれどそう言いつつも、夕食を食べたらまずは机に向かう。その繰り返しが、いつしか歯磨きのように「やって当たり前」の習慣になりました。この学習の体幹は、一生の財産です。
◆未知の世界へ触れる力
紙の歴史、履き物の歴史、気象の仕組み……自分からは手に取らないような説明文にたくさん触れられたのは、公文ならではの経験でした。知の世界がぐっと広がりました。
◆物語と心を共有する時間
ひもじい思いをする子供の物語や、傷つきながら仲間を助ける話など、教材を通して何度も親子で涙しました。「読む」ことが単なる作業ではなく、豊かな情操を育む時間になったことは、何よりの思い出です。また、私が公文を子ども時代にやっていたので懐かしいお話もたくさんあり、当時どう感じたかなど、話に花が咲いたのも楽しいひとときでした。
◆圧倒的な「読解の基礎体力」
知らない言葉に出会っても、手をとめることなく設問に向かえる力。そして、何より驚くほどの読むスピード。最近では日本語も英語も「もう読めたの?」と思うくらいさらっと読むことも。これらはすべて、日々の積み重ねがもたらした「武器」です。
◆知識のパズルを組む楽しみ(部首・文法)
「部首」についてもプリントで学ぶことができ、自然と漢字の成り立ちを吸収していました。また、主語・動詞・接続詞といった「文の構造」を感覚的に理解できたことは、複雑な文章を読み解くための強力な地図を手に入れたようなもの。言葉をパズルのように組み立てる面白さを知ることができました。
◆「根拠」を探し当てる直感力
公文以外の国語の問題にあたる際にも、今のところ「どこを選べばいいの?」と迷うことなく取り組めています。文中から答えの根拠になる箇所を外すことなく選べるようになったのは、まさに長年コツコツと公文を積み上げてきた結果だと感じています。
◆自然と身についた漢字力
漢字に関しても、公文以外での特別な学習はしていません。しかし、文章や設問に繰り返し出てくることで、2〜3年生レベルの漢字は自然と定着しました。
◆「問い」に対する「回答の作法」が身についた
公文といえば「抜き出し」のイメージがありますが、積み上げていくとそれだけでは太刀打ちできなくなります。特にC教材あたりからは、「なぜですか?」という問いに対して「〜だからです」と答えるといった、国語としての「回答の作法」がしっかりと身につきました。
「読解力」はあるのに、なぜ苦しい?E教材でぶつかった「漢字の壁」
「読解力」はあるのに、なぜ苦しい?E教材でぶつかった「漢字の壁」 今、同じように「読解はできているのに、なぜか苦しそう」と感じている親御さんはいませんか?
公文の国語は、着実に読解力を育んでくれました。しかし、学習が進むにつれて、本来の「読解」以外の部分で、わが子が大きな壁にぶつかっていることに気づきました。
D教材あたりで、子どもが「算数はトロフィーがあるのに、国語は苦手だ」と自信を失いかけた時がありました。
(※補足:公文式では、指定の学年より先の学習に進むと、その記念としてオブジェのようなトロフィーが贈られます。子どもたちにとって、このトロフィーはモチベーションの象徴なのです)
ここで辞めてもよかったのかもしれません。でも、その時は「トロフィーをもらえるまで頑張ろう」と、逆にギアを上げてしまいました。親としての励ましのつもりが、結果的に子どもの学習負荷を高めてしまったのです。
◆「E教材の洗礼」と物理的なストレス
念願のトロフィーは見えてきました。しかし、E教材の中盤あたりから、それまでとは全く違う壁が立ちはだかりました。フリガナが減り、未知の漢字が増え、物理的にも「表面の文章を読み、裏面の設問を見る」という動作の繰り返しが必要です。本来の「内容を読み解く」ことに時間を使いたいのに、「漢字を調べる」「紙をめくる」という作業に多くのエネルギーが削られてしまいました。
「文章の内容を理解する読解力」は十分あるはずなのに、それをアウトプットする前の段階で躓いてしまう。この状況を何とか打破したくて、私は先生に相談し、宿題の枚数を半分程度に減らしていただきました。さらに家庭では、漢字にふりがなを振り、表面の文章をコピーして手元で見られるようにする……といった工夫を重ね、なんとかE教材を最後まで走りきることができました。 こうして工夫を重ねてE教材を走りきりましたが、本来の目的であるはずの「読解の楽しみ」が、こうした物理的な作業の苦痛に塗り替えられていく様子を見て、「今ここでギアを緩めるのが、親として正しい判断ではないか」と確信しました。
◆「次の冒険」へ向かうための卒業
実は、これ以上負担をかけ続けるよりも、一度立ち止まって「別の角度から国語力を伸ばす」方が、わが子のためになるのではないかと考えました。そこで、「漢字を習得したり、自分の学年相当のいろんなドリルをやったり、多様な読書を楽しもう!」と子どもに提案しました。 トロフィーを目標に掲げていたわが子もこの提案に納得してくれ、「トロフィーをもらったら卒業しよう」という共通のゴールを決めました。辞めると決めてからの数ヶ月間は、トロフィーという確かな証を目指して、親子で前を向いて走り抜けることができました。
これから公文を進める皆さんへ。漢字こそが最大のパートナー
先生に「漢字が定着していないようです」と相談しても、「学校で習うから大丈夫」「公文は読解がメインだから」という言葉をいただいていました。その言葉を信じていたのですが、今思えば、そこで「大丈夫ではない」と親が気づき、もっと強く介入して漢字の補強をすべきでした。漢字というツールさえ整っていれば、公文の力はもっともっと発揮されます。
結局、国語の歩みを止めていたのは文章理解の力不足ではなく、純粋に「漢字の定着度」でした。漢字という「ツール」が使いこなせないと、どんなに素晴らしい読解力があっても、能力を発揮する前のところで足止めを食らってしまうのだと、痛いほど学びました。
今振り返れば、並行して漢字補強をすべきだったという反省がないわけではありません。けれど、今は「十分、やり切ったよね」という気持ちの方が勝っています。
ただ、今になってこうして冷静に振り返ると、ふと別の問いも浮かんできます。
果たして、本当に漢字だけが壁だったのだろうか。 漢字という見えやすい場所に原因を求めていただけで、実はもっと根深い、あるいはもっと繊細な「学習の揺らぎ」が別の場所にあったのかもしれない。……そんなふうに思うこともあります。
漢字という壁をどう乗り越えるか。わが家の新しい相棒
実は、公文を卒業した今になって、漢字への苦手意識を克服するために、小学校6年分を1冊で網羅できるドリルを導入しました。
これが本当に優秀で、「もっと早くに着手しておけば、E教材の壁ももう少し楽に越えられたかも……」と少し後悔したほどです。各学年ごとに読みと書きのページが数ページずつコンパクトにまとまっているので、苦手なところをピンポイントで復習したり、今の学年をざっとおさらいしたりと、使い勝手が抜群なんです。
漢字という「ツール」が整うだけで、こんなに学習の景色が変わるものかと実感しています。もし今、お子さんの漢字の定着で足踏みしているなら、まずはこの「全学年を俯瞰できるドリル」で土台を整えてみるのがおすすめですよ。
複雑な子供の心や学びの成長スピードは、一つの公式には当てはまらないものですよね。だからこそ、公文という枠組みの中で悩み、あがき、そして「卒業」という決断を下す過程そのものが、私たち親子にとっての「正解」だったのだと、今はそう信じています。
卒業という通過儀礼。親子で駆け抜けた「国語の冒険」に、心からの感謝を
そんな試行錯誤を経て迎えた公文の卒業。ラストの修了テストは、退会月ギリギリの挑戦となりました。実は最後の数枚がどうしても終わらず、期限が迫る中での決戦でしたが、先生は「間に合うように受けましょう」と温かく背中を押してくれました。 返ってきた答案には、いつもより筆圧が強く、堂々とした字が並んでいました。漢字のミスはあったものの、読解に関する設問はすべて満点。先生からも「読解は完璧でしたよ」と温かいお電話をいただき、その言葉はわが子にとって一生の自信になるはずです。 漢字をやり直して、もう一度公文に戻ることはおそらくないでしょう。でも、年中の冬から始まったこの学びの時間は、わが子にとって間違いなく大きな自信の礎となりました。 「公文」という場所がくれた数え切れないほどの成長と、親子で泣いて笑った日々に心からの感謝を。 わが家の「公文卒業」は、これから始まる新しい学びへの大切な通過儀礼です。算数では引き続き先生にお世話になりますので、本当の「卒業」はもう少し先のお楽しみ。まずは国語という一つの冒険を終えた達成感を胸に、次のステージへと進んでいきたいと思います。




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