どこに行っても楽しそうなわが子。だからこそ迷った園選び。
未就園児の頃、ツキイチで通う親子クラスで、いくつかの幼稚園に参加していました。 そろそろどの園にするか決めなきゃいけない時期。だけど、どこに行ってもニコニコとそれなりに楽しそうにするわが子を見て、「一体どこが一番この子に合っているの?」と、私はすっかり迷子になっていました。
結局、わが家が選んだのは、英語もお勉強も、鍵盤ハーモニカさえもない「何もない普通の園」でした。 本音を言えば、当時は「消去法」で行き着いた選択。 けれど今振り返れば、それはわが子の輝きを守るための「最高の本質の見極め」だったと感じています。
1. わが家が人気のある「特色ある園」を選ばなかった理由
「あそこの園の卒園児は、小学校に行ったらお勉強がかなりできる子ばかりだよ」
「あそこの園は、みんな逆立ちで歩けるんだって」
「卒園までに全員が英検5級をとれるらしいよ」
そんな華麗な実績を耳にすると、やっぱり親としては気になってしまいますよね。私も実際に、そういった特色のある人気園の親子クラスにいくつか通ってみていました。
わが子自身、園に置いてあった自分の身長より大きな時計やそろばんに興味津々でしたし、英語のゲームにもノリノリで参加していました。
だけど、最終的に選ばなかったのは、それぞれの園の現場で「ここは、うちの教育観とはあわないな……」というリアルな違和感を、私自身が目撃してしまったからです。
◆みんな同じ構図の自画像
壁に飾られた園児たちの絵が、みんな同じ構図や形で並んでいました。「型にはめる教育なのかな?」と、ふと疑問が湧いたのです。もちろん、お手本通りに書くことや、最初はまず“型”を覚えることも素晴らしい教育法の一つかもしれません。だけど、わが子が出会う「最初の教育」が、みんなと同じであることを求められる場所なのは、違うかなと思いました。

◆部屋の扉にかけられた鍵
園児たちが過ごすお部屋で、先生がいなくなるときに扉に鍵をかけるらしいことがわかりました。もちろん、外に飛び出さないようにするための安全対策だったのかもしれません。ですが、赤ちゃん時代からベビーサークルに入れることすらなく、家の中を自由に動き回れるようにして育ててきたわが家の環境とは、考え方が違うなと感じました。
◆至る所にある「バツ」のマーク
園内のあちこちに、禁止事項を示す大きな「バツ」の看板がありました。先生も、やってはいけないことを伝えるときに、手で大きく「バツ」のジェスチャーを作って「バツです」と指導していました。小さな子どもにわかりやすい伝え方なのかもしれません。ただ、そのような伝え方をしてこなかったわが家にとっては、少し恐怖を覚える光景でした。
◆お勉強・英語・体操」は、本当にわが子のためになるのか?
そして私が考えていく中で、最も頭を悩ませたのは、「お勉強や英語や体操などのカリキュラムが盛りだくさんな環境は、果たして本当にわが子のためになるのだろうか?」ということでした。
幼児期の「できる・できない」なんて、生まれ月(月齢)の差があって当然の年齢です。 それなのに、一斉に成果を競わせる環境に身を置くことで、小学校に上がる前から、わざわざわが子に「できない経験」や「劣等感」を植え付ける恐れのある環境に放り込む必要なんて、一切ないのではないかと考えたのです。
最初に入る集団生活で、いきなりそういう世界に放り込まなくてもいい。 できないことを「できる!」に変えていく努力は、もう少し大きくなって、本人の心が成熟してからでも全然遅くはないはずです。
2. 結論:1万回「好きな遊び」を繰り返す、最高の環境調整

いくつもの園で違和感を見つけるたびに、私は「世間で人気の園って一体何なんだろう?」「もう、わが子を安心して預けられる園なんてないんじゃないか……」と、目の前が真っ暗になり、絶望的な気持ちにさえなりました。
そんな中、妥協せずに探し続けて、結局わが家が選んだのは、特に売りがないことを売りにしている園でした。
入園してみて、何よりびっくりしたのが園の黒板に書かれた「一日のスケジュール」です。
朝のごあいさつ ➔ 好きな遊び ➔ お外で好きな遊び ➔ お昼ごはん ➔ 好きなあそび ➔ 帰りのあいさつ
よく見ると、ほぼ1日中「好きな遊び」で埋め尽くされているのです。 思わず、「もはやスケジュールいらんやろ!」と心の中で激しくツッコミたくなるほどの徹底ぶりでした。
でも、それこそがわが子にとって最高の環境でした。 大人が用意したカリキュラムをただこなすのではなく、毎日「自分で考えて、自分の意志で動く」という、生きる力の根っこにある【主体性の土台】を、この3年間でたっぷりチャージすることができたのです。
みんなと遊びたい日は思いっきり泥だらけになって遊び、ひとりで制作に没頭したいときには、気の済むまで何かに熱中する。虫や花をたくさん摘んで、キラキラした笑顔で帰ってくる毎日。
それは決して、園が子どもたちを単に「放任」しているわけではありませんでした。 先生方は、子どもたちが自発的に夢中になれるような「仕掛け」を、裏で日々一生懸命に考えて環境を整えてくださっている、本物のプロフェッショナルでした。
大人が力技で「やらせる」のではなく、子どもが主役になって輝ける舞台をそっと支える。 そんな温かい園に巡り合えたことで、わが子の「自分は自分のままでいいんだ」という安心感は、揺るぎないものになっていきました。
3. 園生活のリアル:同じ姿を見ても、先生によって180度変わる「言葉のフィルター」
お世話になった園は、本当に大満足な3年間でした。 しかし、どんなに良い園を選んだとしても、最後は「担任の先生とわが子の相性」が何よりも大事なのだと気づかされた3年間でもありました。
それを教えてくれたのは、年少のときに2人いた担任の先生からの、真逆のフィードバックでした。
- 【ケース1:周りを見る目】 片方の先生からは「アチコチに意識が行っている(落ち着きがない)」と捉えられていたのですが、もう片方の先生からは「周りを本当によく見てくれている(視野が広い、観察力がある)」と褒めていただきました。
- 【ケース2:うまくできなくて泣いちゃう姿】 片方の先生からは「うまくできないと(すぐ)泣いちゃう」と、ただ困った行動のように言われましたが、もう片方の先生からは「負けず嫌いな頑張り屋さん」と、その行動の本質をすくい取ってもらえました。
このとき私は、深く考えさせられたのです。 まったく同じわが子を、まったく同じ時間、同じ場所で見守ってくださっている教育のプロであるはずなのに、先生の持っている「フィルター」が違うだけで、こんなにも受け取り方が180度変わってしまうのだ、と。
4. まとめ:結局、わが子を一番知っていて、信じてあげられるのは「親」
人から受ける感覚や、人の評価の仕方は十人十色。 大人社会を見渡せば当たり前のことです。だけど、いざわが子のこととなると、教育のプロである先生にマイナスな点として指摘されると、どうしても心配になってしまうのが親心ですよね。
だけど、この3年間を経て私はこう思うようになりました。 親は先生の言葉をすべて鵜呑みにして、必要以上に「ダメ出し」として受け取ってはいけない。
なぜなら、親が先生の言葉に一喜一憂して落ち込んでいる空気は、子どもが一番敏感に察知して、傷ついてしまうからです。
誤解のないように言うと、私がパスした園を全否定したいわけではありません。現にどちらも大人気で、あの環境が「最高に合っていて、そこで一番輝いている子」もたくさんいるはずです。すべての子に合う完璧な園なんて、きっと存在しません。
だからこそ、園選びも、その後の園生活も、すべては「子どもの性格と、園の方針(先生)との相性のパズル」なのだと思います。
世間の評判や、パンフレットに躍る華やかな看板に振り回されるのを、一度やめてみる。 そして、わが子を一番近くでじっくり見つめてみる。
結局、わが子を一番知っているのも、どんなときも味方になって信じてあげられるのも、私たち親だけです。
周りの目や表面的な評価に右往左往せず、親がどっしりと「愛の防波堤」になって、「この子は自分のペースでちゃんと成長していく」と信じてあげること。 それさえブレずに持っていれば、子どもはどんな環境に置かれても、自分の力でしっかりと大地に根を張り、その子だけの世界に一つの一番輝く花を咲かせられるのだと信じています。




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