子どもの知育や習い事を考えていると、必ず一度は選択肢に上がる「公文(くもん)」。 中でも算数の先取りについてはよく話題になりますが、実は多くの親御さんが本当の泥沼にハマって頭を抱えるのって、「公文国語の壁」だったりしませんか?
「文字はスラスラ読めるのに、記述問題になるとフリーズする」 「意味は合っているはずなのに、返ってくるプリントは三角(減点)の嵐……」
わが家は年中の終わりから公文をはじめ、現在は5年生相当の「E教材」に取り組んでいます。
今回は、わが家が幼児・低学年レベルから現在のE教材に至るまでにぶつかったリアルな壁と、それを楽しく軽やかに乗り越えた「3つの工夫」についてお話しします。今まさにリビングでプリントを前に途方に暮れているママ・パパの、何か少しでもヒントになれば嬉しいです。
1. 「静かに自学自習」じゃなくていい!精神年齢の壁はリビングの“ガヤガヤ”で超える
公文国語が進んでいくと、漢字や文法のスキルとしては解けても、文章のテーマ(歴史、戦争、人体、あるいは大人の複雑な心情など)が子どもの「日常の経験値」や「精神年齢」を追い越してしまう瞬間がやってきます。
わが家は現在、小学5年生相当の「E教材」に取り組んでいますが、やはりときどき、日常では使わないちょっと取っつきにくい言葉や、未経験の世界の話が出てくるようになりました。
ちなみに、わが子の普段の愛読書はまだまだ『かいけつゾロリ』などの楽しい児童書です。おうちでの読書レベルと、公文の教材レベルには、明確な「ギャップ」があります。
実は、私がわが子に公文国語をやらせる中で、親としての意識が大きく変わった部分があります。最初は、いわゆる「読解力」を身につけてほしい、と思って始めた公文国語でした。ですが、教材が進み、わが子の成長を横で見守るうちに、いま私が公文国語に求めているのはテクニックとしての読解力ではなく、「世の中の仕組みや、豊かな語彙力を知ること」へとシフトしていったのです。
だからこそ、わが家では公文国語を「静かに黙々とやる自学自習」にすることを、あえて手放しました。
わが家の公文国語の時間は、とにかくガヤガヤ、おしゃべりだらけです(笑)。
① 親子のトークで「言葉の背景」に肉付けする
横で見ていて「あ、この言葉はきっと意味を知らないな」と察知したら、すかさず割り込んでガチャガチャと解説を始めます。「これってね、この前テレビで見たあれと同じだよ!」「日常で言うと、こういう場面のことだよね」と、子どもの知っている世界に強引に引き寄せて、言葉の背景に肉付けをしていくのです。
② プリントから派生して「世界の広さ」を楽しむ
戦争の話や、人体の不思議など、公文のプリントをきっかけに、わが子のまだ知らない外の世界の話へとどんどん脱線していきます。ときには、言葉だけではイメージしづらい概念を、わが子が自分で裏紙に「図解」して「こういうこと?」と確かめてくることもあります。
もちろん、ずっとべったり横にいるわけではなく、たまにはあえて1人で取り組ませて「本当に内容を理解できているかな?」と確認する時間も作っています。
……と言いますか、最近ではわが子の方から「(お母さんのおしゃべりがうるさいから)もう一人でやるから!」と突き放されることもしばしば(笑)。
親としては少し寂しさもありますが、ガヤガヤ伴走を通して「世の中の仕組みを面白がる視点」が十分に育ったからこそ、自分でどんどん読み進めたくなっているのだな、と頼もしい成長を感じています。
プリントをただの苦行にしないために、まずは親が全力でガヤガヤと世界を広げてあげる。そして子どもが一人で歩き出したら、笑顔で一歩引く。
公文のプリントを、単なる「読解力のテスト」として消費するのではなく、親子で世の中の仕組みを覗き見る「教養の窓」として活用する。 これが、先取りの壁を楽しく突破するための、わが家なりの環境調整です。
2. 「三角の嵐」を乗り越える!家庭での“間違い探し”で記述の作法をモノにする
公文国語のA・B教材(低学年レベル)までは、マス目のヒントに合わせて単語を抜き出す「言葉のパズル」のようだったものが、C教材(小3相当)の途中から、急に「文として書くこと」を求められます。
基本は本文からの抜き出しなのですが、当時小学1年生だったわが子にとって、この「文としての正確性」が最初の高い壁でした。
答えの場所はちゃんと分かって書いているのに、返却されるプリントは「三角(減点)」の嵐。当時のわが家のプリントは、まさに以下のようなパターンで溢れ返っていました。
- 文末の「。」の付け忘れ
- 助詞(てにをは)が本文と一文字だけ違う
- 「なぜですか」と聞かれているのに「〜です」と答えてしまう (問いと答えの不一致)
- 「~でしたか」と聞かれているのに「〜だった」とそのまま抜き出して答えてしまう (〃)
- 漢字の送り仮名ミスや、文字のバランスの悪さ
大人でも「え?パッと見どこが違うの?」と戸惑うほどの細かいチェックに、子ども自身も「意味は合ってるのに、何が原因で三角になったのかわからない!」とパニックになりかけていました。
教室での長居に限界を感じ、家庭学習へシフト
最初は教室で居残って直しをしていたのですが、何が違うのかが分からず、直しにものすごく長い時間がかかり、なかなか帰ってこられない日が増えていきました。プリントに向き合う時間がただの苦痛になっては本末転倒です。
そこで私は、意を決して教室の先生に相談し、「直しをすべて家でやらせてください」とお願いしました。
親が答えを教えない「間違い探しゲーム」
家での直しで私が徹底したのは、答えをすぐに教えることではなく、「子ども自身に納得してもらうこと」でした。
まず、子どもに「三角になるお決まりのパターン(文末、助詞、送り仮名など)」を優しく教えました。その上で、 「今回はこのパターンのうち、どれが違っているか自分で見つけてごらん?」 と、間違い探しのようにプリントを渡すのです。
どうしても見つからないときだけ、「ここだよ」とヒントを出してあげる。
このステップを繰り返すうちに、わが子は「あ、こういうところで三角になるんだ」「次はここに気をつけよう」と、身をもって作法を納得し、自分の文を客観的にチェックする目(推敲する力)を養っていきました。
D教材を終えた今、三角はほぼゼロに!
そうして親子で「納得の直し」を重ねながらD教材を駆け抜け、E教材に入った今。
なんと、プリントで三角をもらうことがほぼ無くなりました! (たまに、文字が汚すぎて三角になることはありますが、それもご愛嬌です・笑)
あのとき、教室でただただ時間を消費するのではなく、お家で「作法を納得していく環境」を整えたからこそ、1年生のわが子は記述の技術をしっかりと自分のものにできたのだと確信しています。
3. 洋書多読と公文国語の意外な共通点?高い壁を越えるための「最強のスルースキル」
わが家では公文国語と並行して、いわゆる「おうち英語(洋書の多読など)」にも取り組んできました。実は、この2つがわが子の中で、面白い化学反応を起こしていることに気づいたのです。
洋書を読んでいるとき、当然ですが、わが子はまだ見たことも聞いたこともない英単語にたくさん出会います。
ですが、そこでいちいち読むのを止めません。 「前後の文脈からして、たぶんこういうことかな?」と推測したり、「まぁ、ここは一旦飛ばしちゃえ!」と、いい意味で受け流しながら、物語の全体像を楽しんで読み進めるタフさ(推測力とスルースキル)が、英語の多読を通して自然と身についていたのです。
未知の言葉を恐れないマインドが、公文でも生きている
そしてこのマインドは、公文国語で学年を越えた高い壁(E教材)に挑むときにも、そのまま100%生かされていました。
小学1年生のわが子が、5年生相当のプリントをやっているわけですから、出てくる日本語の単語をすべて知っているわけがありません。
普通なら「知らない言葉ばっかりで意味がわからない!もうやりたくない!」と投げ出してしまってもおかしくない場面です。 ですが、わが子はフリーズしません。英語のときと同じように、「全部は分からないけれど、きっとこういう話でしょ」と、わからないことを恐れずに、ストーリーの筋を捉えようとするのです。
「その証拠に」……あとから溢れ出る知的好奇心
そうやって一度「いい意味でスルー」した言葉たちには、不思議なことに、また別の本や、数ヶ月後のプリント、あるいは日常のニュースの中で再会することになります。
その証拠に、何でもないときに、わが子から「ねぇ、お母さん。〇〇ってどういう意味?」と、ふと突然聞かれることがよくあります。
プリントをやっているその瞬間は、スルースキルで大らかに読み飛ばしているように見えても、子どもの頭の中の「気になるアンテナ」には、ちゃんとその言葉が引っかかっていたのです。
読んでいる最中に「これどういう意味!?」といちいち立ち止まって勉強を中断させられるよりも、あとから「そういえば、あれってさ……」と自分から引き出してきたときの方が、子どもの吸収力は間違いなく何倍も高くなります。
最初はぼんやりしていた言葉の輪郭が、本人の「知りたい!」というタイミングでハッキリとしていき、確固たる語彙力(教養)へと変わっていく。
「完璧に分からなくても、まずは進んでみる。出会いを繰り返して、気になったら自分のタイミングで取りに行く」 おうち英語で培ったこの大らかなマインドが、公文国語の先取りという高い壁を、軽やかに、そして楽しく乗り越えるための、わが子の最大の武器になっています。
4. おわりに:公文国語は「教養の窓」
公文国語の先取りは、決して「子どもを机に縛り付けて、静かにガリガリやらせる修業」ではありません。
教材をただのスキルアップやテストの点数のための道具にするのではなく、まだ見ぬ広い世界(社会の仕組みや歴史、科学など)を親子で覗き見る「教養の窓」として活用していくこと。
これが、わが家が公文国語の壁を通して見つけた、心地いい付き合い方です。
親が先回りして完璧を求めなくても、子どもは「大らかな環境」さえあれば、自分のタイミングでちゃんと新しい言葉を自分の引き出しにストックしていきます。
もし今、お子さんのプリントの「三角の嵐」にイライラしそうになっていたら、ぜひ一度ペンを置いて、親子でガヤガヤとおしゃべりすることから始めてみませんか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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