「野菜を食べてくれない」と悩むあなたへ。味覚を育てる「食卓の整え方」

茹でたブロッコリー食(ご飯・菜園)
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「うちの子、野菜を全然食べてくれなくて……」

先日、二児を育てる友人からそんな溜息交じりの相談を受けました。献立を考え、工夫して料理を作り、それでも残されてしまう毎日の食事。お母さんの苦労は尽きるところを知りません。

わが家の場合、ありがたいことに離乳食時代から子どもに好き嫌いはなく、どんな野菜もパクパクと食べてくれます。
(※当時の離乳食の進め方や記録はこちらの記事で詳しく紹介しています)

でも実は、そんなわが子の「味覚」を育てる中で、私たち夫婦には一つ、大きな葛藤がありました。

それは、私自身も夫も、結婚当初から「とにかく濃い味」が大好きだったということ。

外食といえばラーメンやこってりした中華が定番で、素材の味よりも「分かりやすい旨味」を求めていた私たち。そんな私たちが子どもを育てる中でふと不安がよぎったんです。

「私たちの食卓の味付けで、この子の鋭い味覚を曇らせてしまわないだろうか?」

そこから、わが家の食卓の「整え方」が始まりました。 結果として、子どもの味覚を守っただけでなく、かつては濃い味派だった夫までが、今では素材そのものを愛するようになったのです。

「味覚は、生まれつきのものじゃない。親の工夫で、一生モノの財産として育ててあげられる」

今日は、わが家が辿り着いた「素材を引き出す食卓」の秘密をお話ししたいと思います。

味覚は育つ。子どもの偏食が消えた「小さな奇跡」

ある日、二児の母である友人から食事についての相談を受けました。「うちの子、野菜を全然食べてくれなくて…」と困り果てた表情。

そのとき私は、ふとわが家での食事風景を思い出しました。 わが家では、もちろん常に素材そのままというわけではありません。味付けを工夫した料理を楽しむ日もあれば、逆に「今日は素材そのものを味わおう」というシンプルな日も設けています。

でも、ブロッコリーや人参といった野菜を出すとき、ただ茹でるだけ、あるいはほんの少しの塩だけで出すと、不思議と子どもたちはその野菜の「本来の甘み」を真っ直ぐに受け止めてくれるんです。

その光景を見ていた友人に「一度、野菜だけでも塩だけで出してみては?」と何気なく提案してみたところ、数日後、驚いた様子で連絡をくれました。

「言われた通りにブロッコリーを塩ゆでしただけで出してみたら、今まであんなに嫌がっていたのが嘘みたいに、バクバク食べてるの!」

彼女のお子さんに起きたこの「小さな奇跡」。 私はこれを聞いて、確信しました。子どもたちは本来、野菜そのものが持つ甘みや旨味を、大人よりもずっと鋭い感覚で感じ取れる能力を持っているのだと。

私たちが「美味しいはず」と信じて味を足しすぎることで、かえって彼らの繊細な味覚を覆い隠してしまっていたのかもしれません。 時には「何かを足す」のではなく、「素材の味を引き出す」という余白を作る。これこそが、子どもたちの本能を呼び覚ます一番の近道だったのです。

そして、この「素材を味わう」という感覚は、やがて子どもだけでなく、濃い味を愛してやまなかった夫の食卓までをも変えていくことになりました。

濃い味大好きだった夫を変えた「味変スタイル」

実は、そんなふうに子どもたちの味覚の育ちを眺めていた私以上に、劇的な変化を遂げた人物がいます。それが、かつてはこってりしたホイコーローやラーメンをこよなく愛し、「味は濃ければ濃いほどいい」と言わんばかりだった夫です。

結婚当初の夫といえば、正直に言えば鶏肉と豚肉の区別さえも怪しいほど、繊細な味の違いには無頓着でした。とにかく口に含んだ瞬間の「ガツンとくる旨味」があれば満足。そんな彼が、今では驚くような変化を見せてくれています。

食卓には、もちろん自家製のタレや醤油などの調味料を用意しています。でも最近の夫は、それを横に置いておきながら、まずは「塩だけ」で鍋をつつくんです。

「塩だけで十分おいしいから」

そう言って、素材の甘みや旨味をじっくりと堪能する夫。その後に満足してから、少しだけタレを足して「味変」を楽しむのが彼の新しいスタイルになりました。 以前は鶏肉と豚肉の違いすら気にしていなかった人が、今では醤油のメーカーを少し変えただけで「あれ、今日の醤油、いつもと違う?」と口にするようになったのです。

味覚が変われば、食卓の風景はこんなにも変わる。彼は今、ただお腹を満たすだけでなく、目の前の食材と対話する楽しさを知ったようです。

本来の味覚を取り戻すと、食卓がもっと自由になる

こうして家族の食卓が変わっていく過程で、私はある一つのことに気づきました。 それは、「人間は本来、素材の味が分かるように生まれている」ということです。

これまでの私たちが濃い味を求めていたのは、きっと、ただ化学調味料の強い刺激や、分かりやすい旨味に「慣らされてしまっていた」だけなのかもしれません。本来は、野菜が持つわずかな甘みや、丁寧にとった出汁の深みに、私たちは深く満足できるようにできている。それを、ちょっとした食卓の工夫で思い出してあげるだけのことなのです。

よく、「丁寧な暮らし」という言葉を耳にします。 でも、そんなに肩肘を張る必要はないのだと思います。おしゃれな調味料を揃えたり、毎日手の込んだ料理を作ったりしなくても大丈夫。

ただ、「今日は素材そのものと向き合ってみよう」と、茹でたての野菜に塩をふる。それだけで、子どもの鋭い味覚は守られ、大人の健康も、驚くほど自然に整っていきます。

もちろん、わが家がこうして素材の味を心から楽しめるのは、良い調味料や、らでぃっしゅぼーやなどで届く美味しい野菜といった「力のある素材」を選んでいるから、というのも大きな理由かもしれません。 厳選された素材は、それだけで十分すぎるほどのご馳走です。

(※私が日々の食卓で手放せない、こだわりの「塩」についてはこちらの記事で詳しく書いています)

味覚を整えることは、一生続く「食」という楽しみを、家族にプレゼントすること。 今日食卓に並ぶブロッコリーや鶏肉が、また違った表情で家族を笑顔にしてくれる。そんな小さな喜びを、これからも大切にしていきたいと思っています。

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